HARIBO100年の歴史:小さなキッチンから、世界的なブランドへ。

偉大なるサクセスストーリーを綴ってきた家族経営企業。

昔のHARIBO広告。グミベアやリコリスで遊ぶ子供たち
歴史的なHARIBO広告のイラスト

現在は3代目が指揮を執るHARIBOは、2020年に創設100周年を迎えました。「子供たちをハッピーにするHaribo、大人もね」というスローガンを使い始めたのはいつ?ゴールドベアはいつも6色だった?HARIBOのリコリスホイールを発明したのは誰?いい質問ばかり!答えはHARIBOの歴史に隠されています。面白いストーリーが散りばめられた歴史の旅へ出発!

HARIBOの創設者ハンス・リーゲル

1920

小さなキャンディワークショップ

1893年にボン近郊にあるフリースドルフで生まれたハンス-リーゲル。菓子職人として修行を積んだのち、Heinen & Riegel社のパートナーになりました。1920年12月13日にHARIBO(HAns RIegel BOnn)を設立し、小さな台所に砂糖袋、大理石作業台、スツール、ストーブ、銅の鍋、麺棒を揃えてお菓子作りを始めます。この新しい会社は1921年に彼の妻ガートルドを一人目のスタッフとして迎えました。

「ダンスベア」グミベア

1922

ダンシングベアの登場

ハンス・リーゲルは、フルーツグミでできた「ダンシングベア」を発明し、HARIBOの成功の礎を築きました。このダンシングベアは後に伝説の「HARIBOゴールドベア」として世界で大人気を博すグミベアの祖先にあたります。ダンシングベアは今日のゴールドベアよりも背が高くスリムな形状でした。当時インフレに悩まされていたドイツ、ダンシングベア2個は1ペニヒで販売されました。

HARIBOレタリングが描かれた古い車

1923

HARIBO社用車第一号

販売数の増加に伴い、新しい輸送手段への投資が行われました。広告看板を載せたこのHARIBO初の社用車は主にお客様への配達に使われました。その時点まで、毎日妻のガートルドが自転車にのって配達をこなしていました。

ハンス・リーゲルの子供たちの写真

1923

リーゲル家の子どもたち

1923年にハンス、1924年にアニータ、1926年にパウルが誕生しました。ハンスとポールは40年代半ばからハリボ社の経営を引き継ぐことになります。

目の入ったリコリスヘビのイラスト

1925

初のリコリス生産

HARIBOを成功へ導いたもう一つの柱。ハンス・リーゲルがリコリス製品の生産をスタート。一番の人気商品はHARIBOの文字が入ったリコリススティックでした。今では世界的に有名になったリコリスホイールなど、その他の製品もそれに続きました。そして、ダンシングベアの従弟、ブラックベアがファミリーに仲間入りしました。

1930年代のHARIBOスタッフ

1930

成長期

既にHARIBO製品はドイツ全土で販売されるようになりました。1933年当時のHARIBOはスタッフ400人を擁する堅実な中小企業に成長していき、またこの年には、ボンの生産工場本館も完成しました。「子供たちをハッピーにするHARIBO」というシンプルでキャッチーな広告スローガンがHARIBOを大成功へと導いていきました。また、ダンシングベアに新しいファミリーメンバー、テディべアも加わりました。

ハンス・リーゲル、当時52歳

1945

困難な時代

戦争と原料不足が社会経済を苦しませたこの時代。HARIBOにも暗い影が落とされました。1945年、創業者ハンス・リーゲルが52歳の若さで他界したのです。第二次世界大戦後のしばらくの間、経営にはその妻、ガートルドが乗り出しました。

パウル・リーゲルの写真

1946

世代交代

第二次世界大戦後、わずか30名の社員で復興が始めたHARIBO。1946年、リーゲル兄弟、ハンスとポールが母から会社の経営を引き継ぐことになりました。ハンス・リーゲル博士は、ビジネス、マーケティング、営業を、弟のポールは生産を、と役割分担をしてのスタートです。すぐさま成功の道が切り開かれ、戦後わずか5年後の1950年には、すでにスタッフ数約1000人の企業へと成長を遂げました。

1960年のゴールドベアパッケージ

1960

ゴールドベア誕生!

HARIBOゴールドベアが市場に登場。市場での大ヒットを受け、HARIBOは、ゴールドベアに公式な出生証明書を発行しました。ゴールドベアーは1967年にドイツ特許庁はを正式な商標として登録されることになりました。ゴールドベアは単なるクマの形をしたグミではありません。HARIBOのベストセラー製品の全てはこちらでご覧ください。

1962年HARIBOキャンディの広告動画

1962

HARIBO初のテレビCM

テレビという新しいメディアの重要性を早くから認識したHARIBO。ドイツで早くもHARIBOのテレビCMが放送されました。1960年代半ばに使われていた「子供たちをハッピーにするHaribo」というスローガンに「大人もね」が加わりました。HARIBOのYouTubeチャンネルでは50年以上続くHARIBO広告の歴史からHARIBOテレビCMの歴史もご覧いただけます。

1970年代のゴールドベアパッケージ

1978

ゴールドベアがシェイプアップ

人々の美的感覚が変化していった1970年代。それに伴いゴールドベアもシェイプアップすることになりました。比較的長く伸びていた足を短くし、全体的にコンパクトに整えられたそのアピアランスは、今日まで愛され続けています。

MAOAMソフトキャンディのロゴ

1986

MAOAMがHARIBOファミリーに

HARIBOが当時ノイスに拠点を構えていたEdmund Münster GmbH & Co. KG.を買収。長年人気を博してきたMAOAMがHARIBOグループの一員になりました。MAOAMのレタリングは導入時からほぼそのまま維持されています。このレタリングは長い間、最も認識度の高いブランド商標の一つとして高く評価され続けてきました。

1989年の赤いリボンを付けたゴールドベアパッケージ

1989

ゴールドベアがカラーチェンジ

果物・植物エキスからの着色料が採用され、ほんのりソフトカラーのゴールドベアに変身しました。同時にパッケージにもニューフェースが登場。赤いリボンを付けたゴールドベアのイラストがパッケージに採用されました。

トーマス・ゴットシャルクを採用した1990年代のゴールドベア広告

1991

HARIBOの広告にゴットシャルクが登場

HARIBOとドイツの人気エンターテイナー、トーマス・ゴットシャルクとの広告提携が始まった年です。このパートナーシップは2015年まで続きました。24年間にも及ぶゴットシャルクとの長いパートナーシップはギネスブックにも登録されました。

HARIBO Chamallow(チャマロ)のイラスト

1996

マシュマロの登場

HARIBOが「Soft-Kiss」「Coco-Balls」「Rombiss」の人気マシュマロ製品を長年市場に送り出してきたベルギーの菓子会社、Dulcia社を買収しました。2007年半ばには、パッケージからDulciaの名前が消え、現在「HARIBO Chamallow(チャマロ)」ちう製品名でスーパーマーケットの棚に並んでいます。

パウル・リーゲルがボンのゴールデンブックに署名

2006

パウル・リーゲルの功績を讃えるボン市

パウル・リーゲルのボン市繁栄のための「傑出した貢献」を讃え、ボン市はそのゴールデンブックにリーゲルの名を記載しました。

トーマス・ゴットシャルクと等身大のゴールドベア

2007

85歳になったHARIBOゴールドベア

85歳の誕生日を迎えたゴールドベア。新しいフレーバーが加わり、パッケージデザインも一新されました。6番目として加わったフレーバーはリンゴ。よりフルーティになったゴールドベア。ファンにも嬉しい誕生日となりました。

ゴールドベアとHARIBOのレタリングが描かれた飛行機

2008

テイクオフする広告?

10年間の提携を祝して、旅行会社TUIfly社のBoeing 737、800の2機がHARIBOゴールドベア大使としてテイクオフしました。GoldbAIRとHaribAIR(2010年)と名づけられたこの飛行機は空を陽気に舞っています。このHARIBO/TUIflyチームには2015年5月にカラフルなTropifrutti(トロピフルッティ)モデルも加わっています。

ミラーボール

2009

ジューシーゴールドベア誕生!

果汁25%でもっと柔らかくなった、ジューシーゴールドベアが登場しました。この製品は、業界誌「LEBENSMITTEL PRAXIS」の「ヒット2009」賞を受賞し、「RUNDSCHAU für den Lebensmittelhandel」誌では「ベストセラー2009」に選ばれました。

レジオンドヌール勲章を受けたハンス・リーゲル博士

2009

ハンス・リーゲル博士にレジオンドヌール勲章

フランス外務省がこれまでフランス国外で授与された人物は数少ない、「レジオンドヌール勲章」(Légion d'Honneur)、そして「勲爵士」の称号をハンス・リーゲル博士に授与しました。ハンス・リーゲル博士が「HARIBO」ブランドをフランスにもたらしたのは1967年のことです。

パウル・リーゲルの肖像画

2009

パウル・リーゲル(83歳)死去

共同経営者ポール・リーゲルが2009年8月2日に急逝しました。生産と技術部門の責任者として活躍してきたリーゲルは実績のある発明家でもあり、リコリスホイール巻き取り機をはじめ、多くの機械を自らの手で開発してきました。パウル・リーゲルは数多くの社会プロジェクトや慈善団体に貢献し、その功績は高く評価されています。

HARIBOデザインのレースカー

2010

HARIBOとモータースポーツ

70年代から90年代にかけてモータースポーツで成功を収めたHARIBOが、チーム・マンタイでレースに復帰。このチームはHARIBOデザインの2台のポルシェのハンドルを握り、VLN耐久選手権やニュルブルクリンク24時間レースで大活躍しています。2017年の最後のシーズンには、HARIBOはメルセデス-AMGパフォーマンスチームとともにニュルブルクリンクの「グリーン・ヘル」とも呼ばれる難しいコースで9位まで追い上げました。

ハンス・リーゲル博士の白黒写真

2013

ハンス・リーゲル(90歳)死去

2013年10月15日にハンス・リーゲル博士が他界しました。HARIBOの商業サイドのビジネスを67年間引っ張ってきたリーゲル博士は、ドイツ最年長の現役のCEOでした。その功績はHARIBOのみにとどまらず、ドイツをはじめとする海外の製菓業界にも大きな影響を及ぼしました。ハンス・リーゲル博士はその人生をHARIBOに捧げ、人々の毎日の生活に笑顔を贈り続けてくれました。

ゴールドベアの袋を持ったトーマス・ゴットシャルクとミヒャエル・ヘルビーク

2014

ブリー、バトンタッチ!

24年間広告パートナーとしてHARIBOの顔を務めてきたドイツのエンターテイナー、トーマス・ゴットシャルクがミヒャエル・ブリー・ヘルビークにその大きな役目をバトンタッチしました。「ブリー・ヘルビークが後継者になってくれてすごく嬉しい。彼ほどぴったりの人物なんていないと思うな」。

グラーフシャフトにあるHARIBO拠点の航空写真

2014

グラーフシャフトで新時代の幕開け

2013年の株主総会にて、ドイツ、ラインラント=プファルツ州のグラーフシャフトに新しい拠点を創設することが決定しました。翌年2014年には、交通の便にも恵また27ヘクタールのこの敷地に巨大な物流センター、最先端の生産ラインを擁する3階建ての建物、モダンなオフィススペースが建築されました。

HARIBOスタッフと等身大のゴールドベア、グラーフシャフト拠点

2018

未来への大きな一歩

5月2日にグラーフシャフト拠点がドイツHARIBO本社、そしてHARIBOグループ国際本拠地としてその活動をスタートしました。ハンス・グイド・リーゲル:「私たちにとって、HARIBOにとって未来への大切な一歩となりました。そしてこれは企業の歴史の中でも大きなマイルストーンになりました。そうは言っても、ボンは永遠にHARIBOにとって大切な土地であり続けると思います」。

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2020

HARIBO:若々しく100歳

3代目が指揮を執る家族経営企業、HARIBOは2020年12月13日に創業100周年を迎えます。この100年間、笑顔をお届けしてきたスィーツの王様、HARIBO。ドイツ全土をあげてのこの創立記念キャンペーン。長い歴史にスポットを当て、それと同時に未来に視線を向けながら、「100年間の笑顔」を祝うお祭りです。

1920
2020

世界中のHARIBO

HARIBOはドイツ国内だけで有名なブランドではありません。世界のグミ&リコリス市場のリーダーとして、HARIBO製品は現在、世界100カ国以上で販売されています。世界10カ国16拠点で活躍する7,000人を超えるスタッフが、品質第一を常に念頭に置きながら、消費者の皆様に愛されるHARIBO製品を生産し、市場へと送り出しています。

私たちは昔からの人気商品だけに力を入れるのではなく、独自の新種スイーツを開発したり、ドイツ国内や海外の有名製菓メーカーを買収するなど、常に商品のラインナップを拡大しています。また、潤滑な供給を常に実現できるよう、販売と生産のネットワークもどんどん広がっています。

もう一つの成功の秘密を明かせば、それぞれの国の好みに合わせた特別なスイーツの開発していることです。